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不快を取り除くということ ──「痛みを取る、その次に」の続き

以前、「痛みを取る、その次に」という手記を書いた。私のなかには、長い看護のなかでできた、ケアの順番がある。第一に、痛みを取ること。そして第二に、不快感を取り除くこと。

今日は、その第二の「不快を取り除く」ことについて、書いておきたい。

目次

「痛い」とは違う、不快

痛みは、わかりやすい。本人も「痛い」と言えるし、こちらも気づきやすい。

けれど、不快は、もっとわかりにくい。むくんで足が重い。靴下のゴムが、しめつける。皮膚がベタついて、気持ちが悪い。なんとなく、だるい。冷えて、落ち着かない。――どれも、「痛い」とまでは言えない。けれど、たしかに、つらい。

こうした不快は、本人ですら、うまく言葉にできないことが多い。「どこが、と言われると困るんだけど、なんだか気持ちが悪くてね」。現場で、何度も聞いてきた言葉だ。痛みのように、はっきりと訴えられない分、見過ごされやすい。

見過ごされやすいから、気づきたい

不快は、命に関わるものではない。だから、優先順位としては、どうしても後回しにされやすい。

けれど、私は、この「なんとなくの不快」を、できるだけ取りのぞきたいと思ってきた。なぜなら、不快なままでいることは、その人の毎日の機嫌や、眠りや、気力を、じわじわと削っていくからだ。

ずっと足がだるい。いつも靴下の跡が気になる。皮膚がムズムズする。そういう小さな不快が積み重なると、人は、なんとなく不機嫌になり、なんとなく元気をなくしていく。逆に、その不快がすっと取れると、表情がほどけ、「ああ、楽になった」と、声がもれる。

痛みほど目立たないけれど、不快を取りのぞくことは、その人の一日の質を、確かに変える。

足元の、不快

フットケアの仕事をしていると、足には、不快のもとが、たくさんあることに気づく。

むくんで重い足。しめつける靴。ごわついた角質。引っかかる爪。蒸れて気持ちの悪い指のあいだ。どれも、「痛い」とは言いきれないけれど、確かに、その人を、なんとなく不快にしている。

足を温め、むくみをやわらげ、角質をなめらかにし、爪の引っかかりを取る。それだけで、足が、ふっと軽くなる。「こんなに違うものなんですね」と、驚かれることもある。本人も気づいていなかった不快が、取れて初めて、それがあったことに気づく。そういうものなのだと思う。

言葉にならない声を、聞く

不快を取りのぞくために、いちばん必要なのは、たぶん、技術ではない。

「どこか、気持ちの悪いところはありませんか」と、こちらから気にかけること。本人が言葉にできない不快を、表情や、しぐさや、足の状態から、くみとろうとすること。言葉にならない声を、聞こうとすること。

痛みは、向こうから訴えてくれる。けれど、不快は、こちらから気づきにいかないと、そのままになってしまう。だから私は、目の前の人の、言葉にならない「なんとなく」に、耳をすませていたい。

おわりに

痛みを取る。その次に、不快を取り除く。

その第二の段は、目立たないけれど、その人の毎日の心地よさを、静かに支えている。「痛くはないけれど、なんだか気持ちが悪い」。そんな小さなつらさに気づいて、そっと取りのぞける人でありたい。

足元から、その人の毎日の心地よさが、ひとしずくずつ、取り戻されていきますように。

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