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老犬と幼犬が、教えてくれたこと

わが家には、長く連れ添った、年老いた犬がいた。その犬を見送って、ほどなくしてから、縁あって、まだ若い犬を迎えた。

入れ替わるように、わが家にいた二匹の犬。この二匹のことを思うと、「足で歩く」ということについて、考えさせられることがある。

目次

目も、耳も、衰えた老犬

年老いた犬は、晩年、目がほとんど見えなくなっていた。耳も、ずいぶん遠くなった。それでも、感覚が衰えただけで、体そのものは、最後まで丈夫だった。

そして、その犬は、最期まで、自分の足で、歩いた。

見えなくても、聞こえなくても、自分の四本の足で、ゆっくりと、歩いていく。家のなかを、確かめるように。庭の匂いを、たどるように。歩けること。それが、その犬にとって、最後まで残った、大切な力だった。

見ていて、胸を打たれた。目や耳の力を失っても、自分の足で歩けるかぎり、その犬は、その犬らしく、最後まで生きていた。

若く健康な幼犬が、ためらう

一方、新しく迎えた若い犬は、健康そのものだ。目はよく見えるし、耳もいい。活力にあふれていて、本当なら、跳ねるように走り回れる年ごろだ。

ところが、ある時期、その若い犬が、歩くのを、ためらうようになった。

どうしたのかと、よく見てみると、足の爪が、伸びすぎていた。この犬は、爪を切られるのを、ひどく嫌がる。だから、なかなか整えてあげられず、伸びすぎた爪が、地面に当たって、うまく踏ん張れなくなっていた。歩くたびに、違和感がある。だから、あんなに元気なのに、一歩を、出しぶる。

若くて、健康で、力にあふれていても、爪が伸びすぎているだけで、歩くことに、ためらいが生まれる。それを目の当たりにして、はっとした。

足が、その人を、歩かせる

二匹の犬は、まるで反対のことを、教えてくれた。

老いて、目や耳が衰えても、足さえ動けば、歩いていける。

若くて、健康でも、足元が整っていなければ、歩くのをためらう。

歩けるかどうかは、若さや健康だけでは、決まらない。足そのものが、ちゃんと整っているかどうかが、その人を、その犬を、一歩、前へ出させる。それを、言葉を話さない二匹が、その身をもって、教えてくれた。

人も、同じだと思う

これは、人も、まったく同じだと思う。

年を重ねても、足が整っていれば、人は歩ける。外に出られる。逆に、どれだけ元気でも、爪が伸びて痛かったり、足にトラブルがあったりすると、人は、歩くのがおっくうになる。出かけるのを、ためらうようになる。

歩けることは、生きることに、まっすぐつながっている。そして、歩けるかどうかを左右するのが、いちばん下にある、足元なのだ。

私がフットケアの仕事で大切にしているのは、まさに、ここだ。その人が、最後まで、自分の足で歩いていけるように。一歩を、ためらわなくてすむように。足元を、整える。

おわりに

あの老犬は、最期まで、自分の足で歩いて、旅立っていった。今わが家にいる若い犬は、爪を整えてもらって、また、元気に駆け回っている。

足が、その命を、歩かせている。二匹のことを思うと、それが、よくわかる。

足元を整えることは、その人が、その人らしく、歩き続けるための、いちばん静かな支えなのだと思う。

足元から、歩いていく力が、ひとしずくずつ、守られていきますように。

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