訪問看護をしていると、足のケアが、その人の「生きること」そのものに、深くつながっている場面に出会います。今回は、ご主人を亡くされた女性のお宅でのお話です。私がしたのは、特別な治療ではありません。ただ、その方に、散歩を続けてほしかったのです。
毎日、泣いていた
その方は、ご主人を亡くされたばかりでした。
長く連れ添ったご主人を見送って、深く塞ぎ込んでいらっしゃいました。私が訪問看護でうかがうと、いつも、ご主人の思い出話をされました。出会った頃のこと、ふたりで過ごした年月のこと。話しながら、毎回、涙を流されていました。
私にできたのは、その話を、ただひたすら聞くことでした。何か気の利いたことを言おうとは思いませんでした。悲しみは、急いで乾かすものではありません。話したいだけ話して、泣きたいだけ泣いていただく。その時間に、ただ寄り添っていました。
思い出の、公園
お話のなかで、繰り返し出てくる場所がありました。近所の公園です。
生前、おふたりは毎日、その公園まで散歩に行っていたそうです。手をつないで、他愛もない話をしながら歩いた道。ベンチに座って眺めた景色。そこには、ご主人との楽しい思い出が、たくさん残っていました。
ひとりになった今も、その方は、その公園に行きたいと願っていました。そこに行けば、ご主人を、近くに感じられる。歩いた道をたどることが、その方なりの、悲しみとの向き合い方だったのだと思います。
けれど、ある時期から、それが難しくなっていました。
足の爪が、食い込んで
足の爪が、巻いて、皮膚に食い込むようになっていたのです。
歩くたびに、親指が痛む。痛みをかばって歩くから、長くは歩けない。公園まで行きたいのに、行けない日が増えていました。塞ぎ込んで、家にこもりがちになっていたことも、足の状態を悪くしていたのかもしれません。
悲しみで動けない心と、痛みで動けない足。そのふたつが重なって、その方を、思い出の場所から、遠ざけていました。
私がしたかったこと
訪問看護師として、私がしたかったことは、ふたつでした。
ひとつは、お話を聞くこと。悲しみを、無理に止めないこと。
そしてもうひとつが、なんとか、公園までの散歩を続けてもらうことでした。
そのために、まず足を診ました。食い込んでいた爪を、痛くない長さと形に整え、皮膚の負担をやわらげました。歩いても痛まないように、靴のことも一緒に考えました。足が痛くて歩けない、という壁を、できる限り取りのぞきたかったのです。
歩くことは、ただの運動ではありません。その方にとって、公園まで歩くことは、ご主人に会いに行くことであり、悲しみと向き合いながら、前を向くための時間でした。その大切な習慣を、足の痛みで失ってほしくなかった。
足を整えることは、その人の時間を守ること
爪を整えたあと、その方は、また少しずつ、公園へ歩けるようになりました。
「今日は、行けたのよ」と、報告してくださる日がありました。相変わらず、涙は流されていました。それでも、その涙のそばに、歩けた日の小さな満足が、確かにあるように見えました。
足を整えることは、その人の「行きたい場所」へ、もう一度つなぎ直すことなのだと、あらためて思いました。フットケアは、足だけを診ているのではありません。その足が、どこへ向かいたいのか。その人の生活と、心ごと、診ているのです。
おわりに
悲しみは、簡単には癒えません。私にできたのは、足の痛みを取りのぞいて、その方が、思い出の公園へ歩き続けられるようにすることだけでした。
けれど、それでよかったのだと思っています。歩けること。行きたい場所へ行けること。それは、悲しみのなかにいる人にとっても、生きていくための、小さな、けれど確かな支えになります。
足元から、その人の歩きたい道が、ひとしずくずつ、続いていきますように。
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